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コロナが収束したあとの景気とお金への向き合い方を考える

長い自粛生活に入って、あらゆる産業がストップしてしまい、景気悪化・倒産・失業者が続出するという、経済的な恐怖に襲われています。

ウイルスに感染することも怖いですが、経済的な下落という恐怖もあります。

経済活動が滞ってしまうのは、川から水が干上がってしまうようなもの。喉を潤す、体を癒す水の流れが消えてしまうようなもの。

どれだけの人が耐えられて、どれだけの人が苦しむのか?想像がつきません。エイジマンの未来もどうなるかわかりません。

こうなってしまうと、もしウイルスが収束しても、経済活動は今までと同じようにはいかないでしょう。

今後もウイルスが再度まん延することを前提とした経済の設計がなされます。

ウイルスが収束と書きましたが、正確にはインフルエンザのように常に世にはびこる状態になるので「共存」。感染する可能性が永遠にゼロになることはないわけです。

みんなが抗体を持ってウイルスに耐えられる身体になても、新種のウイルスや変性したウイルスが蔓延する可能性があるわけです。

今後もこのような緊急事態宣言が発せられて、経済がストップする期間が、何度も訪れるかもしれません。それを前提に制度設計がなされるでしょう。

店舗での商売・スポーツやコンサート等のライブイベント・映画などの劇場など、今までと同じレベルで運営できるという状態にはならないでしょう。

店舗での商売もリスクが高くなるし、テナントとしては家賃の問題もある。大家としても家賃がなければ銀行への返済が止まる。大家もテナントもどちらも苦しい。

スポーツ選手だって、今までのような大金は稼げなくなるでしょう。集客あってのギャランティーです。人を集めることが難しくなればギャラは出ません。

どう考えても基本的には経済活動は縮小します。コロナウイルスの人々に与えた心理的なダメージは大きいです。メンタルがやられました。

消費税アップで財布のヒモがかたくなったどころの話ではありません。財布を開けなくなるでしょう。

それと価値観の逆転です。今まで価値があったもの価値が下落し、今まで価値が毀損されていたものの価値が上がる。何が上がって、何が下がるか、その見極めが必要です。

見栄のために存在する豪華なモノの数々、料理・服飾・物件などはコスパが悪いので価値が下がるでしょう。豪華であることを評価する人が減りますので。

必要充分な衣食住と適度なエンターテインメント、部室的な豊かさは今までよりレベルが下の方に、評価の目盛りが合わせられるでしょう。

お金の有用性も下がっていくと思います。当然、お金は生活する上で必要ですが、欲しい物が減ってくるでしょう。

生きるために必要な生活用品は大事ですが、要不要の見極めがなされます。維持や管理だってコストがかかるわけで、どう考えてもランニングコストは減らしたい。

つまり過度に所持することに意味がなくなってくる。

もっと人間的な、内面的な豊かさにフォーカスされる文化に変わっていくでしょう。できることなら「助け合いの世界」。

エイジマンが子供のころを思い出せば、昭和の助け合いの精神がありました。そもそもモノがなかったですし。食べ物も衣服も本も近所の人シェアして暮らしていました。

コンビニがなくて不便だと思ったことはなかったですし、八百屋は夕方には閉店しますし、外食は寿司か町中華くらいしかなかったですし。ペットボトルもないし、衣服もおさがり。本も図書館かバザーで買ってました。

それが当然だったので不便に思ったことはなかったはず。便利に慣れすぎました。そういう世界に戻っていくのかもしれません。

そうなれば「お金」は世のため人のため。自分の欲を満たすために使われていたお金は、他人の幸せに貢献するような使い方になっていくでしょう。「利他」ってやつです。

低欲望社会の経済のありかた。お金が回ることは、誰を助けること。自分も幸せになり、誰かが幸せになる。正当な対価として支払われる明快な経済活動ですね。

誰かからお金を奪い取るような北斗の拳の世紀末感でなくて、種もみを育ててみんなで分け合えるような、大きな木を育てるような経済になって欲しいと願います。

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エイジマン
エイジマン
職業:勇者見習い。人生のお悩みダンジョンを攻略すべく、あらゆるライフハックを装備して実践するのが趣味。