あたらしいカテゴリとして、自己啓発のカテゴリーを作りました。
でも「自己啓発」って言葉には、うさんくさいイメージがついてしまっているので、表記する言葉を変えました。
「エンライトメント(Enlightenment)」と表記します。
自己啓発を英語に訳しただけなんですけども、ちょっとオシャレな雰囲気が出て印象が変わる気がします。
エイジマン自身がいろいろと悩んだりで、なかなか前に進めなかった時期が長いくて、その時の自分に言い聞かせる感覚で書いていきます。
本日のテーマはこちら
「目標を達成するためには過去形で考える」
目標達成のために過去形で考えて脳をだます
たとえば、ある試験に合格したいとします。
その時の目標設定として「○○という試験に合格する」という目標を立てました。
一般的には、これは正しいと思いますよね?
今は登山の途中であって、登頂することを目指しているわけですから。
「○○という試験に合格する」で問題ない気がします。
でもこれって、あまり優れた目標設定ではないんです。一体どうゆうこと?
目標をすでに達成したことイメージする
「○○という試験に合格する」という言葉には「まだ合格か不合格かわからない」という状態の認識が含まれています。
確かにそうですね。試験を受けてないんですから、合格か不合格かはわからないのは当然です。
しかし、今がどういう状態であるかどうかは、脳には関係ないんです。
試験に合格したいのであれば「試験に合格している」もしくは「試験に合格した」という状態である認識が必要です。
すでに過ぎ去った時間のように「目標を達成した状態」を思い描いてください。
掲示板に自分の受験番号が載っているイメージ、合格したあとに広がる楽しい生活のイメージ、などを想像してください。
なかなかそう思えないならば…
もし目標を達成した状態が思い描けないとしたら、それは自分が「試験に不合格の場合」を潜在的に意識してしまっています。
ここでは試験に合格することが目標なので、試験に不合格であることなど一切考えなくて良いはずです。
「不合格かもしれない」というイメージが潜在的にあると、その意識に引っ張られて「不合格の可能性」が高まってしまいます。
すでに試験に合格している強烈なイメージを思い描きましょう。
当然、合格するために必要な学習量はあるはずですから、それに未達では合格することはありえません。必要な学習量をこなした上での話です。
あるいは、もし強烈に試験に合格したあとのイメージが描けるのであれば、自動的に学習がはかどってしまうと思います。
「学習することが楽しくて仕方がない」というゾーンに入ってしまうかもしれません。
学生時代の友人を見て感じたイメージの大切さ
エイジマンの学生時代の友人のA君は、勉強することが楽しくて仕方ないという人でした。もちろん頭が良い、けれども秀才という印象ではありません。
A君はいつもひょうひょうとしていて、とらえどころのないキャラクター。笑いに飢えたお笑い芸人のような雰囲気です。毎日、部活の吹奏楽に夢中でした。
A君は受験勉強をゲームのような感覚でとらえていて、努力とも苦労とも思っていません。あっさりと現役で東大に合格しました。
A君は東大を目指しているという雰囲気すら出していませんでしたから、その結果には驚きました。
A君は普段は吹奏楽に熱心な姿は見えましたが、勉強をしている雰囲気は一切なかったです。
普段から勉強を努力だと思っていないのですから、当然かも知れません。
A君はゲームを攻略するくらいの感覚で、楽しみながら勉強をしていたようです。彼にとって受験はゲームであって、簡単にクリアできるものというイメージでした。
別の友人B君は、受験を「努力しないと超えられない高い壁」と考え人でした。それはB君自身の考えなのか、そうやって親や先生に教え込まれた結果なのかはわかりません。
B君はいつもつらそうでハッピーには見えず、どんよりとした雰囲気です。
B君は毎日、一生懸命に勉強していて、ある意味では努力の人だと言えるかもしれません。辛くて苦しい思いをしながら勉強していました。
B君はA君を一方的にライバル視して受験する前から、頭は良いが努力する姿を見せないA君に対して、嫉妬なのか軽蔑なのか、憎しみのような感情を抱いていました。
B君にはその嫉妬の感情が原動力になっていたのかもしれません。しかしB君の顔色はいつも沈んでいて、不機嫌そうでした。
A君はそもそもB君に関心がありません。他人がどうかなんて考えない人です。受験というゲームを攻略することにしか関心がないのです。
結局、B君は東大に不合格でした。あっさり東大に現役合格したA君に対して、最後まで怒りに近い感情を抱いてました。
B君は滑り止めで受けた別のそこそこ偏差値の高い大学に進学しました。もしかしたらA君へのライバル心から、その後もひっそりと東大への受験を続けたのかもしれません。
エイジマンは端から見ていて、受験勉強を「攻略しがいのあるゲーム」だと考えるA君と、「努力や苦労の積み重ね」だと考えるB君の差を、つくづく感じました。
イメージの差が、結果に結びついてしまうんです。もしB君も受験を楽しめれば、現役で東大に合格できたかもしれません。
他人への嫉妬を原動力にして「受験は苦労の積み重ね」だと考えたB君の結果です。もしB君が東大に合格したとしても、その後の学生生活で幸せになれたかどうかはわかりません。
こういったイメージの差は、人生において大きな影響を及ぼす気がします。
では具体的にどうすれば良いのか
いくつか方法があります。ここでは合格するイメージが明確であれば良いわけです。
期日を決めて逆算する
紙に大きく「〇月〇日に合格しました!ありがとうございます!」と書いて壁に貼るなど、目につくところに掲示するのが良いですね。
「〇〇に合格する」でなくて、具体的な日付(この場合は合格発表日)も一緒に書く。
未来のことであっても「合格しました!ありがとうございます!」という過去形と感謝の意を併記します。すでに目標が達成された状態だと思い込んでいくのです。
期日から逆算してスケジュールを立てていく。期日があることで、ゴールへの道筋が明確になりやすいです。
「いつまでに、なにをする」という、いくつかの中継地点を作って、中継地点をタッチしながら期日というゴールに向けて分割的に進んでいく。
合格発表後のイメージを描く
たとえば、それが学校の入学試験であれば、入学後のキャンパスライフのイメージの写真や動画を集めてみるでも良いでしょう。
- その学校への通学路をたどって学校に通うイメージを高める
- 合格発表のインタビュー動画などをYouTubeで探して毎日観る
- 合格したあとの生活がイメージできる写真を集めて毎日眺める
このように、画像や映像を通して、合格後のイメージを明確化していきます。それが当然だと思えるように、意識に刷り込んでいきます。
五感を合格のイメージを結びつける
味覚の場合
たとえば「カツ丼を食べて受験に勝つ」というゲン担ぎがありますね。
受験前だけに1度だけカツ丼を食べるのでなく、むしろ1年以上前から週1でカツ丼を食べて「カツ丼=合格」のイメージを増幅させるでもいいでしょう。
スマホでカツ丼の写真を撮影して、食事記録を残しても良いです。毎週じっくりとカツ丼を味わう。週1で食べて「カツ丼=合格」のイメージが自然な状態になる。
毎週カツ丼を食べてるから合格して当然、というイメージを作るんです。
聴覚の場合
合格発表時をイメージして、その瞬間の映像を脳内で再生して、そこに流したいBGM(音楽)を決めて毎日聞く。
好きなアーティストの曲、映画などのサントラ、アニメの主題歌、ゲームミュージック、クラシック音楽など、なんでも良いので自分が勝利した瞬間に流れてほしい曲などを頻繁に聞きます。
ドラマの主人公になった気分で、自分が勝利した瞬間の映像と、そのシーンで流れるBGM(音楽)を決めて聞き込んで、音楽と合格のイメージを結びつける。
ここでは視覚・聴覚・味覚について書きましたが、五感すべて(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)すべてに合格のイメージを結びつけましょう。
この感覚をおぼえていきましょう。五感すべてが合格という目標に結びついて、よりゴールへの臨場感が大きくなります。
あなたが金メダルを目指すオリンピアンだとしたら?
オリンピック選手が金メダルを獲得したい思ったときに
- 負けて銀メダルかもしれない
- 負けて銅メダルかもしれない
- 負けてメダルが取れないかもしれない
なんて考えると思いますか?
金メダルを獲得する選手は、金メダルを獲得したあとのイメージがすでにできています。
- 表彰台に上がって国歌の演奏を聞いている
- 仲間や関係者に抱きつかれて祝福される
- メディアに取材されてテレビや雑誌に出演する
- もっとスポンサーが増える
そういった、あらゆる明確でポジティブなイメージをすでに持っています。メダルがとれるかどうかわからない、などとは絶対に考えません。
イメージの中では「金メダルが獲得できて当然」なんです。
かつて、アントニオ猪木が試合前のインタビューで「もしこの試合で、若手選手に負けることがあればどうなりますか?」聞かれて、
「戦う前から負けることを考えるバカがいるか?」
という名言を残しました。まさにコレが大切です!
脳は現実と仮想の区別がつかない
これはどういうことか?
たとえば映画館で映画を観て、あまりの面白さに夢中になり、とても感動して映画館を出ても、しばらく余韻に浸ってしまう、という経験があると思います。
映画館で映画を観ると、大きなスクリーンと自分を囲む音響の迫力で、作品のスケールに飲まれて、作品の世界観に没入する感覚になると思います。
映画に夢中になると、映画が終わった後でも映画への没入感から抜け出せず、キャラクターの気分だったり、作品をから得た感動だったり、しばらく感情が映画に引きずられると思います。
それは映画に臨場感を感じている状態です。
言ってしまえば映画は「ウソ話・フェイク・仮想」であり、現実ではありません。
現実の自分は、イスに座って足を組み替えて、甘いドリンクを飲んでいるはずです。でも作品に夢中になってしまえば、そんな現実の自分なんて意識しません。
映画に没入しているときは「自分にとっての現実がスクリーンの中にある」と錯覚しているわけです。これは脳をだましている状態です。
脳が現実とスクリーンの中の仮想を取り違えているのです。
これが「脳は現実と仮想を区別できない」という簡単なたとえです。
このように臨場感を伴うリアリティを感じて、目標を達成した未来のイメージを脳内に作っていくのです。
未来のイメージですが「すでに過去のもの」と感じることがポイントです。
脳が感じる現実と仮想を意図的に入れ替えましょう。
仮想がすでに現実化している事実、と上手に脳に思い込ませます。そうすると自然と目標は達成できます。
試験に合格した後の世界にリアリティを感じることができれば、自然に学習量も増え、学習することが楽しくて仕方がなくなります。
試験に合格することが当然のことに感じてきます。そこには不合格だった場合、という思考が入る余地はありません。
これは自分自身に問いていることでもあります
ここでは「試験に合格する」というわかりやすいゴールを設定しましたが、この方法はなんにでも応用できます。エイジマンの場合はとりあえず「ダイエット」ですw。
また、このブログが多くの人に読まれている、というイメージでブログを書いていきます。そうでないと挫折してしまいそうなので。
ここで挫折というワードが出たということは、ある意味で「挫折することを前提」にしてしまっているということでもあります。これはイカン!ゴールが遠のいた…w。
こうやって客観的になれるのも、目標の捉え方を常に意識しているからです。
たとえば、1日に1000人の読者が読んでくれている、というイメージです(現実はもっと少ないですw)。
ですが、1日1000人の読者がいると思い込みながらブログを書いていれば、1000人に届くような文章が書けるようになり、自然と1日1000人に到達できると思っています。